返報性の法則は職場では通じない?報われない優しさに疲れた中間管理職へ

毒親とも思っている家族に対して機嫌を損なわないようにしていた気遣い。

でも大きな変化はなく、むしろそれがないと逆に機嫌を損ねているのではないかとも思う場面があった。

心理学で「返報性の法則」というのがあるが、そんな法則なんてないのではないか。

家族関係や職場の経験からあれこれ考えてみたのでまとめてみる。

返報性の法則とは ― 「与えれば返ってくる」は本当か?

人は誰かに何かをしてもらうと、「お返しをしなければ」と感じるものだ。
この心理を「返報性の法則」と呼びます。社会心理学者ロバート・チャルディーニが提唱した概念で、人間社会の中で協力関係を築くための基本原理ともいわれている。

親切にされれば、お礼を言いたくなるし、プレゼントをもらったら自分も何かを返したくなる、これは自然な心理反応になる。

でも、「返してくれるはず」という前提は相手がそれを恩として受け取った場合に限るという条件がついている。

つまり、「ありがたい」と感じていなければそもそも返報されないということです。

でも、私たちは無意識のうちに自分のしたこと=相手の受け取った恩と勘違いしがちだ。
そこにズレが生じると、「あれだけやってあげたのに」「なぜ返ってこないんだ」という不満が生まれることになる。

家族や職場などの長期的な関係では、時間の経過とともに「してもらうのが当たり前」という感覚が育っていくことがある。
つまり、返報性の法則は万能ではなく、“お互いが感謝を意識できる関係”の中でしか機能しないということになる。


返報性の法則が通じない家族関係 ― 毒親との距離から見えたこと

家族というのは、一見もっとも深い「信頼と愛情の関係」に見える。
しかし実際には、もっとも返報性の法則が通じにくい関係でもある。特に、いわゆる“毒親”と呼ばれるような支配的・依存的な親子関係では、この法則はほとんど機能しない。

たとえば、親の機嫌を損ねないように先回りして気を遣う。
親の望む言葉を選び、空気を読んで振る舞う。
実際に、私自身が何度も経験したことだ。

こうした行動は、一見「優しさ」や「思いやり」のように見える。
しかしその裏には、“これで関係が良くなるはず”“怒られないようにしよう”という期待が潜んでいる。
そしてその期待が裏切られたとき、「どうしてこんなに気を使っているのに」と苦しくなる。

問題は、相手がその気遣いを“恩”ではなく“当然”と受け取っている点にある。
支配的な親にとって、子どもの気遣いは「返すべき親切」ではなく、「従うのが当たり前」という認識になっている。
つまり、返報性の前提となる「対等な関係」が成立していないことになる。

この構造の中で「もっと優しくすれば、きっと分かってくれる」と思っても、現実には逆効果になることが多い。
むしろ、相手が「支配が効いている」と感じて、要求がさらに強くなるケースもある。

では、どうすればいいのか。
鍵は、“返報を期待しない距離”を持つことになる。
「親だから」「家族だから」といった義務感ではなく、自分の限界を守るための線引きをする。
それは冷たいことではなく、自分の心を守るための健全な選択となる。

親子であっても、すべての関係に返報性が成り立つわけではない。
むしろ、“返ってこない現実”を受け入れることで、ようやく心のバランスを取り戻せることもある。

これを理解してから気を使おうとしている自分にストップをかけて、自分のために時間を使うことが増えたと思う。

職場にも存在する“返報性の歪み” ― 「こんなにやってるのに」問題

職場でも、返報性の法則はしばしば期待と現実のズレを生む。
特に中間管理職という立場では、「上司にも部下にも気を配るのが当然」という構造的なプレッシャーの中で、この歪みが起きやすいと思う。

たとえば、部下のために残業してフォローしたり、上司に報告を徹底してチームを守ったり。
それなのに感謝もされず、むしろ「それが当たり前」と扱われることがある。
「こんなにやってるのに、なぜ伝わらないんだ」という虚しさしか残らない。

実はこの“報われなさ”は、返報性の法則の片側だけが強く働いている状態になる。
つまり、「自分の行動を相手がどう受け取るか」という視点が抜け落ちていることになる。
部下にとっては「上司の仕事だから当然」、上司にとっては「中堅だからそれくらいできて当然」。
こうして“恩”は“義務”にすり替わり、感謝の循環が止まります。

中間管理職が疲弊するのは、まさにこの「返ってこない構造」に長く晒されることも要因の一つではないかと思う。
一方で、職場という組織は“平等な返報”が前提でもない。
役割によって“返りの形”が異なり、直接的なお礼よりも「信頼」や「裁量」などの形で返ってくることもある。
しかし、それが目に見えない分、実感として報われにくい。

この現実を受け入れるために大切なのは、
「返ってこないことが、必ずしも無駄ではない」という認識の切り替えとなる。
自分の行動が誰かの中で“当たり前”になっているのだとしたら、
それはすでに組織の安定を支える力として根づいているのかもしれない。

返報性の歪みを完全に解消することはできない。
けれど、「自分の行動がどう受け取られているか」を意識するだけで、
無駄に期待して傷つくことは、確実に減らせるはずだと思う。

返報性の法則を超える考え方 ― 「ゆるストイック」な関わり方

「返ってこない」と感じたとき、私たちはつい相手を責めたり、自分を否定したりする。
しかし、人間関係のなかで本当に必要なのは、“返してもらうための努力”ではなく、返ってこなくても自分を保てる軸を持っていることだ。

大谷翔平は自分のやるべきことを淡々と、それでいて相手は相手と割り切っているような姿が印象的だが、ちょうど「ゆるストイック」という書籍が同じ考えだった。

「ストイック」と聞くと、我慢や完璧を連想するかもしれない。
でも「ゆるストイック」 相手に過剰に期待せず、自分が大切にしたいことだけにエネルギーを注ぐ。
結果をコントロールしようとせず、「自分は自分、相手は相手」と切り分けて考える。
そんな“ゆるくて芯のある生き方”のことだった。

たとえば職場で部下に指導したのに反応が薄いとき。
以前なら「なんで伝わらないんだ」と落ち込んでいたのを、
「自分は伝える努力をした。受け取るかどうかは相手の課題だ」と切り替える。
これが、ゆるストイックとなる。

家族関係でも同じ。
気を遣っても返ってこない親に対して、「もういいや」と突き放すのではなく、
「これ以上踏み込みすぎないのが自分にとっての優しさ」と考える。
この“余白のある優しさ”が、心を消耗させずに関わり続けるコツになる。

ゆるストイックな姿勢は、他人との関係を諦めることではありません。
むしろ、「どう思われても、自分が納得できる行動を選ぶ」という、自立の形になる。
返報性の法則に縛られず、誰かの反応ではなく自分の基準で動けるようになると、
人間関係のしがらみから少しずつ自由になれるのではないか。

見返りを求めない生き方は、冷たいのではなく、しなやかで強い。
“返ってこない優しさ”を恐れずに差し出せる人こそ、本当の意味で人に優しくなる。

まとめ ― 返報性に頼らない優しさが、自分を守る

返報性の法則は、人間関係を円滑にするうえで確かに役立つ考え方になる。
しかし、すべての関係が“お互いさま”で成り立っているわけではない。
むしろ、家族や職場のように関係が密接であるほど、「してもらって当然」「それが役割」といった“当たり前”が生まれやすく、返報性は静かに消えていく。

そんなときこそ、「返してもらう」より「自分がどうありたいか」で動くことが大切となる。
相手の反応をコントロールすることはできないが、自分の行動の選択権は常に自分にあります。
「感謝されないなら意味がない」と考えると苦しくなるが、「自分の意思で行動した」と思うことで、自分軸の楽な生き方が手に入る。優しさは、相手を変えるための道具ではない。
返ってこないからやめるのではなく、返ってこなくてもいいと思える関係を選ぶ。それができると、人間関係のストレスは驚くほど軽くなると思う。

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