「もっと厳しくしたほうがいいですよ」と言われたことがある。私はあまり怒らないタイプだ。叱ることはあっても、感情的に怒鳴ることはほとんどしない。それを「優しすぎる」「なめられる」と感じる人もいるらしい。
でも、本当になめられているのだろうか。少し立ち止まって考えてみたい。
「なめられる」の正体
なめられるとは何か。指示が通らない、返事だけして動かない、陰で悪口を言われる——こういう状態のことだと思う。では、これは「怒らないこと」が原因なのか。
私の観察では、違う。なめられている管理職の多くは、怒らないのではなく「軸がない」のだと思う。その場その場で言うことが変わる。都合によって対応を変える。フォローするかしないかが気分次第。これが「なめられる」原因だ。怒らないことではない。
怖さより一貫性
部下が管理職を信頼するのは、怖いからではない。「この人の言うことは筋が通っている」「言ったことを守る人だ」「自分のことを見ていてくれる」——このどれかがあるとき、人は動く。
感情的に怒鳴って部下が動くのは、恐怖からだ。恐怖による従順さは表面的なもので、見ていないところでは動かない。14年の現場で、これは何度も確認した。
怒らない管理職が気をつけること
怒らないこと自体は強みになる。ただ、一点だけ意識しないといけないことがある。「言わなかったこと」を積み残さないことだ。
怒らないがゆえに、問題を見て見ぬふりしてしまうことがある。その積み重ねが、軸のなさに見える。問題が起きたとき、静かでも明確に「それは違う」と言える——これだけで十分だ。大きな声は要らない。怒りも要らない。ただ、軸だけは持つ。
怒らない、でも曲げない
怒らない管理職が強くなれるのは、感情ではなく筋で動く人間だからだと思う。一貫性がある人間の「静かな否定」は、感情的な怒鳴り声より重い。怒らないことは弱さじゃない。怒らなくても伝わる言葉を持つことが、本当の力だと私は思っている。